BeProudに入社して一年が経ちました

入社してちょうど一年と一週間経ちました。「そろそろ一年経つなぁ」と思って調べたら一週間過ぎてました。

はじめに

このブログを意気揚々と立ち上げてから一年以上経ちました。 ここ半年は放置していたんですが社会人2年目に突入したということで、「今日はメモリアルな記事が書きたい。」と久々にブログ欲が出ました。 一年間で起きた出来事、感じたこととかをサラッと書きます。

入社の経緯

就職は難しい

僕は2018年3月に大学を卒業して、3月の終わりにはシドニーのビーチにいました。 ギリギリでゲットしたワーキングホリデービザ。語学学校に通ったりサボったり、観光していたりしたらあっという間に語学学校の期間は終わった。 「プログラミングができる仕事をシドニーで!」と思い、レジュメを書いては送り書いては送りの日々。 「うちの会社めっちゃフレンドリーなスタートアップ!ぜひ応募してくれよな!」白い歯がよく似合う金髪の若者の画像とともにそう書かれた文言を、x回鵜呑みにして全て落選。 落選と言うか、メールが返ってこない。社会は怖い。

I'm ニート in Bondi

そんなわけで僕は平日の昼間からチーズバーガー片手に、水平線から押し寄せるボンダイビーチの波を数えて「なーんか、マーク・ザッカーバーグとか現れて雇用してくれないかなー」とか考える日々を送っていた。 そんな愚痴を大学時代、ゼミの先輩だった923に相談すると「うちの会社リモートワークできるよ」との返事。 僥倖。僕はその日のうちにレジュメを翻訳して、BeProudの募集フォームから応募した。

入社してからガッツリ案件にアサインされるまで

入社してからは、しばらく新人研修的なコードを書いていた。毎日発見があり、「おぉ、これがプロの作法か……」と感動していた。 勉強意欲にあふれる毎日。ブログも毎日更新しちゃう。

またSlackに上がるLTの時の写真とかを見て、「あ、この人は◯◯さんっぽい」とか妄想していた。 余談だが、リモートワークで僕は基本的にひたすら引きこもっていた。そんなある日、昼休みに家の周りをうろうろしてると近所の子どもが「あ、あのジャパニーズまだ無職だぜ」的なひそひそ話をしていた。正確には以下の2つが聞こえた。「Japanese」「no job」。僕は図書館で仕事をし始めた。

案件多忙期

大丈夫じゃない「大丈夫な”はず”」という言葉

新人研修が終わると、少しだけ保守案件をしてから、ガッツリ開発案件へとアサインされた。 最初は会社での初チーム開発で右も左も分からずkashewパイセンとshimizukawaさんに幾度となくヘルプを受けた。 ペアプロをして毎度のこと感じていたのは「僕の仕事は雑だなぁ」ということ。 一つ一つの作業で、「まぁ大丈夫でしょ」とか「これは確認しなくても大丈夫なはず」とかいう思考が垣間見えた。 「大丈夫な『はず』」という考え方は良くなかった。実際、僕が最初に実装したAPI結合テスト時にちゃんとコケた。 自分の想像だにしないバグが発生するのが開発なのに、自分が想像できる範疇のことを怠っていた。非常によろしくない。

そしてブランチ破壊神へ

その他にも、Git操作には大変苦しんだ。アサインされてすぐは、Gitの仕組みを半分わかったような、わかってないような状態だった。 そんな僕が検証環境用のブランチをforce-pushで吹っ飛ばすという問題を起こした。 それがきっかけで、僕はブランチ破壊神という汚名にも近い勇名を馳せた。 僕は罪悪感駆動開発でGitについて幾らか勉強した。テスト用のリポジトリを作って、コマンドを実際に叩いて想像した通りの挙動かを確認した。そうしている内にだんだんと、Gitへの理解も深まり、操作しながらGitのツリーがどうなっているか想像できるようになった。まぁその後、もう一回ブランチを破壊したのはご愛嬌。

見積もりは難しい

それと、一番難しかったことの一つは「見積もり」についてだった。初めて見積もりをした時はかなりめちゃくちゃだったと思う。「最高のパフォーマンスを発揮したらこれくらい」な感じの見積もりだったと思う。でも、どこかで「自分ならこれくらいあればできるだろ!」とも思っていた。だから、自分で決めた見積もりに自分が追い詰められ、苦しむことがよくあった。だんだん「あれあれ、どうやら僕ってそんなに仕事やるの早くないぞ」と気がつく。自分が直感した見積もりと、実際に掛かった時間を見比べてみると、想定の1.5~2倍くらい掛かっていた。「これはやばい」と思って、僕は直感で見積もりをするのをやめた。修正方針・範囲を把握してから、だいたいどれくらい掛かるか概算をして、少し幅(バッファ)を持たせた見積もりをするようになった。そうすると、前より見積もりの精度が上がった。

見積もりの精度が上がると、先方へ伝えるスケジュールが正確になる。「遅延します」と伝えなくて良い。「この会社はスケジュール通り開発が進んでくれるな」と印象が良い。僕の”直感の見積もり”が案件へ与える影響は少なからず存在する。見積もり一つだって、雑にやると良くないんだと学んだ。

コードを書くのはプログラマの仕事の一つに過ぎない

ドキュメントの書き方にしたって最初は全然なってなかった。「結論から伝える(何を伝えたいか)」「意図を簡潔に伝える(長いのは読む気が失せるし、読みての時間の浪費につながる)」「なぜそうなのか(結論がどうやって導かれたのか経緯を伝える)」「いつ誰が読んでもわかるようにする(後から読み返して解らない文章は意味がない、むしろ悪影響になることもある)」ざっと思い出して以上のようなことが学び。。。。ですかね。。。その他にも、「ドキュメントはちゃんと更新する!」面倒くさいからって放置しない。放置されたドキュメントは殆どの場合は害悪でしかない。「チーム開発で大事なことってコード書く以外にたくさんあるんだなぁ」と当時のkaiは感じました。

この案件でその他にもたくさん学びや反省があります。ありすぎて書けないので、書きませんが。自分にとって大事な経験をたくさんしました。 あと案件のチームのメンバーはみんなそれぞれ凄いポイントがあって、ほんとに尊敬できて、あのチームで開発に携われたのは今でも誇りの様に感じています。 自分のタスクだけじゃなくて、チーム全体へ貢献する行動や、誰かのサポートする姿を見て「自分もいつかそういうことができるようになりたい」としみじみ感じた。その前に「自分のタスクをしっかりこなせるようにならねば」ということに必死でしたが笑

現在

そんなガツガツ開発をした案件を終えて、今はまた別の案件にいます。前のガツガツ開発案件に比べると、少し穏やかな生活になりました。こうしてブログも書いてるし。

いま感じること

この一年で学んだこと、深く心に刻んだことは「自分の仕事に誠実であること」でした。スキルや知識が足りないことは仕方ない。自分よりすごい人はいるし、コツコツ勉強するしかない。自分の持っているスキルで知識で自分の仕事を責任を持ってやり切ることが一番大事だなと今は感じています。「大丈夫な”はず”」という考え方は、誠実じゃないし、やるべきことを怠っていて無責任な仕事振りだなと感じます。自分が気がつく範囲、できる範囲で最大限の力を発揮する、そして「これなら大丈夫!」と自信を持って言える仕事を積み重ねる。これが今の目標です。

終わりに

一年は長いようで短かった。あの日のボンダイビーチの波が……こう……胸に……いや……あの夕日が……923の一言が……そう……まさに例えて言うなら……あー、うまいこと言って締めたかったのに締められなかった。